
金の実質リターンは本当に「ほぼゼロ」なのか?
― Erb & Harvey (2013) を2025年データで再検証する
📌 この記事を読むと分かること
- 金の「長期実質リターンはほぼゼロ」とよく言われる根拠(Erb & Harvey 論文)
- 2020年代の金ラリーを取り込むと、その数字がどう変わるか
- ただし「いつから測るか」で結論が大きく変わるという落とし穴
- 株式との比較で見えてくる、金という資産の立ち位置
📝 3行サマリー
- 1975〜2025 の金の実質CAGRは、概算で 年率 +2.3〜2.4% 程度
- 2013〜2025 に区切ると 年率 +3.8% 前後 と、金としてはかなり良好
- ただし起点を1980年などに変えると結果は大きく変わり、株式の長期実質リターンにはなお及ばない
1. はじめに ― なぜ今この論文を見直すのか
金(ゴールド)の長期リターンを語るとき、必ず引用される論文があります。
Claude Erb と Campbell Harvey による "The Golden Dilemma" (2013) です[1]。
この論文の有名な含意の一つが、「金の長期実質リターンはほぼゼロに近く、株式に大きく劣る」 というもの。
ただし、論文が書かれたのは2013年。
その後、金は2020年代に強いラリーを経験し、2025年には史上最高値圏まで上昇しました。
そこで本記事では、論文発表後のデータを足したうえで、その含意がどの程度今も当てはまるのか を、
できる限り一次ソースに沿って確かめてみたいと思います。
2. 「実質リターン」って何?(やさしい解説)
💡 ざっくり言うと
「価格が上がった分」から「物価が上がった分」を取り除いた、本当の意味でのお金持ち度の伸び のことです。
たとえば金の値段が2倍になっても、その間に物価も2倍になっていたら、買えるモノの量は変わっていません。
これを「実質リターンはゼロ」と言います。
本記事では、金の値段を CPI(米国の物価指数)で割る ことで、この「本当の伸び」を計算しています。
3. 計算の前提(出典と定義)
- 金価格:LBMA系のドル建て年平均価格[2]
- インフレ指標:米国 CPI-U 年平均(BLS, 1982-84=100)[3]
- 通貨:米ドル
- 実質リターン:
(金価格 ÷ CPI)の倍率からCAGRを算出
計算式は以下の通りです。
[ \text{実質CAGR} = \left( \frac{P_T / \text{CPI}_T}{P_0 / \text{CPI}_0} \right)^{1/n} - 1 ]
💡 言葉でいうと
「終わりの実質価格 ÷ 始まりの実質価格」を出して、それを年数で均した「年あたりの伸び率」を出しているだけです。
4. 使用データ
| 年 | 金価格(年平均, $/oz) | CPI-U(年平均) |
|---|---|---|
| 1975 | 約 160.9 | 53.8 |
| 1980 | 約 615 | 82.4 |
| 2000 | 約 279 | 172.2 |
| 2013 | 約 1,411 | 233.0 |
| 2025 | 約 3,065(実績概算) | 約 322 |
5. 期間別に実質リターンを計算してみる
5-1. 2013 → 2025(論文発表以降の12年間)
- 価格倍率:( 3{,}065 \div 1{,}411 \approx 2.17 )
- CPI倍率:( 322 \div 233 \approx 1.38 )
- 実質倍率:( 2.17 \div 1.38 \approx 1.57 )
- 実質CAGR:( 1.57^{1/12} - 1 \approx +3.8\% )
論文発表以降の12年間、金の実質購買力は年率およそ +3.8% で伸びた と見積もられます。 金としては、かなり良好な成績と言える水準です。
5-2. 1975 → 2025(金保有自由化以降の50年間)
- 価格倍率:( 3{,}065 \div 160.9 \approx 19.05 )
- CPI倍率:( 322 \div 53.8 \approx 5.99 )
- 実質倍率:( 19.05 \div 5.99 \approx 3.18 )
- 実質CAGR:( 3.18^{1/50} - 1 \approx +2.3\% )
50年スパンで見ると、金の実質リターンは年率およそ +2.3〜2.4% と概算されます。
5-3. まとめ表
| 期間 | 長さ | 金の実質CAGR(概算) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1975〜2012 | 37年 | 約 1% 前後 | 論文の含意・同様の定義による近似再現値[1] |
| 2013〜2025 | 12年 | 約 +3.8% | 本記事再計算 |
| 1975〜2025 | 50年 | 約 +2.3〜2.4% | 本記事再計算 |
6. 大事な注意点 ― 「いつから測るか」で結果は変わる
1975年は米国で金保有が自由化された直後で、抑圧されていた価格が上昇しはじめた時期。 逆に1980年(バブル天井)を起点にすると、結論はかなり変わります。
6-1. 起点別の実質CAGR比較
| 起点 | 終点 | 長さ | 金の実質CAGR(概算) | コメント |
|---|---|---|---|---|
| 1975 | 2025 | 50年 | 約 +2.3〜2.4% | 自由化直後起点で比較的有利 |
| 1980 | 2025 | 45年 | 約 +0%〜やや上 | バブル天井起点で不利 |
| 2000 | 2025 | 25年 | 約 +5%前後 | 長期低迷期からの反発 |
※ いずれも年平均金価格とCPI-U年平均による概算値です。
ご覧の通り、起点を変えるだけで「金は儲かる資産」にも「ほぼ横ばいの資産」にも見えてしまう のが金の特徴です。
Erb & Harvey が論文で繰り返し強調していたのも、まさにこの起点依存性の大きさでした。
7. 株とのざっくり比較
米国株(S&P 500、配当再投資込み)の長期実質リターンは、Siegel らの研究で広く知られているように
おおむね 年率 6〜7% のレンジで語られます[4]。
1975〜2025の同期間でも、配当込みで実質 7%前後 の水準と見られています。
| 資産 | 1975〜2025 実質CAGR(概算) |
|---|---|
| 金 | 約 +2.3〜2.4%(本記事再計算) |
| 米国株(S&P 500, 配当込み) | 約 +7% 程度(既存研究の代表値・参考値) |
2020年代ラリーを含めても、金と株式の長期実質リターンには依然として大きな差 がある、と見るのが妥当でしょう。
8. リターンだけでなく「リスク」も見る
実質CAGR 2.4% という数字だけ見ると「悪くない」と感じるかもしれません。
ただし金は、リターンに対してリスク(ボラティリティ)が大きい資産です。
- 年率標準偏差:おおむね 15〜20%
- 最大ドローダウン(実質ベース):年次平均ベースの概算で、 1980年前後のピークから2001年前後のボトムまで およそ -75〜-80% 規模
- キャッシュフローを生まない:配当や利息のような内部的な再投資メカニズムを持たない
💡 金と株のたとえ話
金は「値段が変わる金属のかたまり」。持っていても利息も配当も生みません。儲けは値上がりだけ。
株は「利益を生む会社のかけら」。会社が稼いだ利益が配当や再投資で雪だるま式に増えていきます。
この 「内部で勝手に増える仕組みがあるかどうか」 が、長期で大きな差を生む根本的な理由です。
厳密に言えば、金の保有者リターン自体は複利的に積み上がりますが、
資産内部にキャッシュフローを再投資するメカニズムがない ため、価格上昇に頼りやすい構造になります。
これが「長期で実質リターンが伸びにくい」根本要因の一つと考えられています。
9. 結論
- Erb & Harvey (2013) 発表後の2020年代ラリーにより、 1975〜2025 の金の実質CAGRは 約1% → 約2.3〜2.4% に上方修正されました。
- 論文発表後だけを切り出した2013〜2025の実質CAGRは +3.8% 前後 と、金としてはかなり良好な成績です。
- ただし起点を 1980年(バブル天井) に変えれば、実質リターンはほぼゼロ近辺にとどまり、 「起点依存性」は依然として非常に大きい 点に注意が必要です。
- 同期間の 株式の長期実質リターン(おおむね 6〜7%)には依然として届かない と見るのが妥当です。
- ボラティリティ、最大ドローダウン、キャッシュフロー欠如といった構造的な弱点は、ラリー後も変わっていません。
したがって、Erb & Harvey が示した方向性、すなわち
「金は超長期では購買力保存の例を示すこともあるが、株式の代替にはなりにくい」
という見方は、2025年時点でも多くの部分で当てはまっていると考えてよさそうです。
ただし一方で、「金の長期実質リターンは1%程度しかない」 という形で論文を単純に引用するのは、
2020年代以降のデータを踏まえると、やや控えめな数字に見えるかもしれません。
今後この論文を引く際は、「1975年起点で2025年まで延ばせば、実質2%台前半まで上振れている」 という事実を併記するのがフェアでしょう。
同時に、1980年起点なら『ほぼゼロ』が今でも当てはまる区間がある ことも忘れずに添えたいところです。 金の長期リターンを語るうえで、起点依存性は避けて通れない論点だからです。
💡 最後に一言
金は「悪い資産」ではありません。ただ、株式の代わりにはなりにくい資産 です。
また、安全資産ではなくリスクの高い資産でもあります。
ポートフォリオの中での役割(分散、ヘッジ、心理的安定など)を理解したうえで、適切な比率で持つのが現実的でしょう。
参考記事 金(ゴールド)投資は本当に必要か?理論と数字で考える資産配分の最適解【2026年版】
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【余談】
金の将来リターンを考えるうえでは、過去の高リターンが「恒常的なものだったのか」、それとも「特殊な環境要因によるものだったのか」を分けて考える必要があります。
たとえば、1970年代の変動相場制への移行は、金市場にとって極めて大きな制度変更でした。
これは一種の“ボーナスタイム”とも言える特殊局面であり、今後10年で同規模の制度変化が再び起こる可能性は、そこまで高くないでしょう。
また、2020年代の金価格上昇には、長期に続いた低インフレ・ゼロ金利環境、コロナ後の急激なインフレ再燃、実質金利の大きな変動といった、「環境の急反転」が強く影響した側面があります。
つまり、「0金利・低インフレが当たり前の世界」⇒「高インフレ・金利上昇の世界」への転換そのものが、金にとって大きな追い風になった可能性があります。
デフレや0金利に悩んでいた2010年代と違い、今後10年ですでに“インフレも金利もある程度存在するのが普通”という前提が市場に織り込まれている現在、今後も、ここ数年と同じような上昇が続くのか。ここは冷静に考える必要があります。
ファクター投資ではよく知られていますが、論文が発表された後、そのファクターのプレミアムは20~40%ほど消失するという研究があります。
個人的には、過去の「金の期待リターンは低い」というコンセンサスそのものが、逆説的に将来のプレミアムを生んだ側面があり、近年の爆発の一因だったのではとも考えています。そのプレミアムは上昇を受けて薄れたかもしれません。ここは個人の感想、憶測ベースです。
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参考文献・データソース
- Erb, C. B., & Harvey, C. R. (2013). "The Golden Dilemma." Financial Analysts Journal, Vol. 69, No. 4.
- LBMA Precious Metal Prices(London Bullion Market Association 公表値)。年平均は月次データから算出。
- U.S. Bureau of Labor Statistics, Consumer Price Index for All Urban Consumers (CPI-U), All Items, 1982-84=100。
- Siegel, J. J. Stocks for the Long Run(米国株の長期実質リターンに関する代表的研究)。
- クロスチェック用:Macrotrends 集計データ、NBER "Gold Returns" 関連シリーズ。